「昔は日焼けが当たり前だった!」美容のプロ3人が語る「日本のコスメ」40年の進化
美容についてあれこれ話したり、新情報を探したり、“コスメおたく”が楽しいものだと認識されたのは、1990年代。その先駆けとなった美容のプロたちが、「ときめきのJ-BEAUTY」の過去から現在、そして未来について楽しくおしゃべり!
◆あわせて読みたい
▶伊東美咲さん「海外生活10年で確信!」あらためて知る”日本発のコスメの真価”とは
海外コスメの流行上陸のなかで日本ならではの個性が確立!
千田:学生時代、私はお二人をはじめ美容賢者さんの雑誌コメントを参考にコスメを買っていました。渡辺さんが特集していた丸の内OLにフォーカスしたリップ選びは新鮮でしたし、クイズ番組「カルトQ・化粧品部門」での朗子さんの優勝は衝撃的でした!商品紹介を楽しみながら発信していくことの始まりだった、と思います。
渡辺:(以下同・敬称略)’90年初頭のバブル期にかけては続々と外資系の高級美容液が上陸してきたり、スーパーモデル由来のベージュ口紅が大ヒットしたり、新しい情報が入るたびにワクワクで楽しかったですね。でもそんななかでも覚えているのは、日本人の肌にはJ−BEAUTYが合うよねと、みんなが思って期待していたこと。
植村:学生の時は海外旅行やアメ横で日本未上陸ブランドを発掘していました。外資のメイクコスメは憧れで、スキンケアは日本のものが多かったです。母が愛用していたアルビオンのカウンターでスキコン一式を買ってもらったのが16歳の時だったかと。
渡辺:メイクアップでも1994年頃から安室(奈美恵)ちゃん発祥の眉メイク&小顔ブーム、2000年頃からはあゆ(浜崎あゆみ)ブームでマスカラ命になり、2004年頃からはえびちゃん(蛯原友里)ブームのモテ意識など、日本人ならではの美の価値観が生まれてきたと思います。
千田:昔から、その時その時の時代の顔があって、CMや広告で旬の顔があって、その顔を真似してました!キャッチコピーやアイテムは今でも覚えているくらい。美容モチベを上げてくれた存在ですね。
衝撃の出合いから今では㆒生のお付き合いに
千田:お二人のJ−BEAUTYの歴史におけるビッグバンって何でしたか?
渡辺:それはもう「日常美白」という概念。’70年後半~’80年代はサーファーブームでしたから、きれいに日焼けするためにオイルを塗って日光浴していたわけです。ところが’90年代になると資生堂ホワイテスや花王ソフィーナによる啓蒙が始まって、日常に浴びている紫外線でも肌にこれだけの影響が、だからなるべく日焼けは避けて日々美白ケアをしましょうと。これには今までの全てを覆されたようで、当初は気持ちが追いつかないほどの衝撃でした(笑)。でもその転換によって、今では日本の美白が世界をリードしていますよね。
植村:私はビタミンCコスメの登場かな。10代の頃は粉末ビタミンCを溶かして塗っていました。その後ドクターズコスメを取り入れたり、今も365日、ビタミンCは欠かせません。その時は化粧品として注目されていませんでしたが、今やビタミンCコスメは、美白、ハリ、毛穴、皮脂ケアなどの万能成分として、高濃度・高浸透・遺伝子レベルの研究まで進んでいます。
千田:導入美容液の存在は感慨深いです。1998年にトワニーの「タイムリフレッシャー」が出た頃は「導入」というカテゴリーが浸透していませんでした。その後、2009年にランコムが日本仕様の「ジェニフィック」を出し、2010年に「アスタリフトジェリーアクアリスタ」、2013年にクレ・ド・ポーボーテの「ル・セラム」が出て、すっかり定番化し、美ST世代には欠かせないものに。
J−BEAUTYでしか成しえない発想や名品を応援したい
植村:J−BEAUTYの素晴らしい点って、年代に応じたラインが用意されていて徐々にステップアップできること。その人の一生涯の肌に寄り添う、という発想がありますよね。それから、母親が入口という方も多いかなと。
千田:幼少期はアトピー肌で初めて美容液に触れたのが中2の頃。母愛用の、ソフィーナ「モイスチュアベール」(終売)をこっそり塗ったら、劇的に肌がつるんときれいに。化粧品でこんなに肌が変わるんだ!と感激し、そこから美容おたくに。
渡辺:J‒BEAUTYは「化粧品は肌をすこやかに保つものである」という指針を守っていると思うんですよね。もちろん最新のサイエンスで攻めているけれど、化粧品の本分を忘れていないというのかな。心地よく安心して使えるという視点に沿って開発・製品化されていると思います。
千田:サイエンスと言えばここのところJ−BEAUTYの研究は驚きの連続です。
植村:ソフィーナベーシックの「周囲の水分を肌に」という発想から商品を作ってしまうのがすごい。
渡辺:エリクシールのリングコラーゲンの知見も天才的着想!夏の灼熱対応で各社のUV製品の進化も止まりませんね。
植村:それから、プチプラに至るまで、ついているシャドウのチップなどツールまで手を抜かない。使い手にストレスを与えない。
渡辺:蓋の開けやすさや出る量の加減も。
植村:日本人の感性というか、独特の繊細さが絶妙なもの作りに生かされているから、良い形で広がってほしいです。きめ細かな弾力泡の洗顔料や、進化する多機能化粧水は日本人が好きだからこそ、もっと良くなると期待しています。J−BEAUTYと私たちは、お互いに育て、育てられてきた存在。ご当地コスメにも良いものがいろいろありますし、今は情報にも市場にも隙間がない状態です。SNS発信者の中から自分の年齢や肌タイプ、ライフスタイル、趣味と近しい人を見つけていくと選びやすいんじゃないかな。
渡辺:J‒BEAUTYはその時の流行りでなく、各ブランドそれぞれが切り開いた一本道に沿って知見を積み重ね進化させているので信頼が高まります。その姿勢をこれからも貫いてほしい。J‒BEAUTYらしい細やかな配慮や、地道に肌の神秘を解明し続けてくれている研究がもっと知られるといいなと思っていたので、今回の美STの取り組みにはとても期待しています。
植村:美STが、さまざまな角度から楽しみ、J‒BEAUTYを盛り上げる試みを始めたことにとても共感しつつ、私たちもJ‒BEAUTYに誇りを持ち続けたいです。
千田:消費だけの美容ではなく、本当にいいものを受け継ぐのが美ST世代の使命。J−BEAUTYの発展が私たちをキレイにしてくれる。これからも一緒に進化していけると信じています。
日本発信のベスコス記事を企画執筆
「フィガロジャポン」1995年2月号(発行:TBSブリタニカ(現在はCEメディアハウス)が「フィガロジャポン」のコンテンツを継承)。
日本人による日本人のための独自のベスコス企画の先駆け。
「CREA」1993年10月号(発行:文藝春秋)。
連載「COSME CHAT」内コラムでは、どんなライフスタイルの人も移行しやすい次の口紅の色を「カフェオレ・ローズ」と名付けて解析。
美容ジャーナリスト。フランス留学後1986年から美容記事作成に携わり、’90年代にはベストコスメを企画担当。その後も多くの雑誌で執筆し続け40年目、J-BEAUTY黎明期の証言者。
1992年に伝説のクイズ番組優勝からこの道に
1992年、フジテレビ系クイズ番組「カルトQ」で優勝した時のトロフィー。「趣味は化粧」だったのが一躍注目を集め、美容の新しいステージが開けた。
「CREA」1993年10月号(発行:文藝春秋)。「勤めはじめてつぎ込んだ化粧品代は、高級車がポンと買えるほどの額」という事実に驚き!
美容コメンテーター。「すっぴんで外に出るべからず」の家訓の元に育ち高校時代からコスメに開眼。20代でコスメについての知識を競うクイズ番組で優勝。自腹買いの女王は今も健在。
『美ST』2026年10月号掲載
撮影/向山裕信(cheek one) 取材/森島千鶴子 編集/石原晶子 再構成/Bravoworks,Inc.
※このページで着用のジャケットは本人の私物です。シャネルブティックへのお問合せはご遠慮ください。
▼関連記事
▶「ソファで寝落ち」しても老けない人の秘密!美ST編集部が手放せない本気の救世主コスメ